2021年01月

2021年01月 · 2021/01/31
援助活動という美名の下には危険な「ワナ」が潜んでいる事がある。それというのもいつの間にか「助けてあげている」という立場に立たされてしまう恐れがあるからである。もっと極端な場合は「助けなければならない」という使命感?に燃えて、奔走することである。その結果、思いもよらない(?)支配と隷属という歪みが生じてくるのである。...
2021年01月 · 2021/01/24
設立40周年の記念誌に載せられている牧師の書斎を読むことがある。歩みを振り返る中、その折々に父なる神が八尾南の群をどのような方法で導かれたのかを思い起こし、まさに出エジプトを果たし荒野を旅するイスラエルのようだと思わせられ感謝があふれてくる。...
2021年01月 · 2021/01/10
2020年の元旦礼拝「向きを変えて出発せよ」との主からのメッセージを覚えているだろうか?出戸新会堂建設ために20数年主に期待していながら、遅々として進められなかった一つに、私自身行政の決定を待っていたところにある、と思っている。この世の為政者たちや、行政機関が為政のために決定する事を祈って待つのも、神を動かす事にもなるが、直接的に神が主導権のもとに働かれる信仰に立つことが重要であり、また祈る者はそうでなければならない、と痛感し、悔い改め待ち望み、今年はいよいよ出戸新会堂の建築が始まる年である、と信じている。 先週の新年礼拝で詩篇46篇より「神の前に静まれ、神を知れ、神をあがめよう」というメッセージをさせて頂いた。今年、目に見える建物が立ち上げられるために、何よりも心を一つにして祈りが立ち上げられなくてはならない。準備を進めていくプロセスの中で幾つものハードルがあることを知らされ、心がおれそうになる。近い将来、南海トラフ大地震が発生すること確実であるゆえ建築基準が大変厳しくなっている。 生駒聖書学院の創設者、レオナード・W・クート宣教師が「不可能は挑戦となる」という言葉を残された。私たちは祈りの祭壇を築き直して神の前に静まり、不可能を可能にされる生きて働かれる神を知り、神の御業をあがめていこう。 夜の10時に兄弟姉妹が置かれた場所で、一斉に心を合せようではないか。祈りなくして会堂建設は出来ないことを今までの経験から知っている。主が御座から立ち上がって支えて下さっておられるから共に祈りに励もう。
2021年01月 · 2021/01/03
元日の朝、多くの方々から年賀状を受け取った。年1回であるが、日頃全く連絡のない人からの年賀状は嬉しいものであるが通信手段が多様化した今、スマホにもメールで届き日頃からお互いの消息を確認する機会が多くなった。聖書のみ言葉にあるように「遠い国からの良い消息は、疲れた人への冷たい水のようだ」(箴言25:25)。...