2021年09月

2021年09月 · 2021/09/26
随分前の執事会で、「日頃、先生が考えていることを信徒に伝えてもらえたら」との発言を受け、その場で「じゃあ、週報に載せたら良いですね」と、そこから始まった「牧師の書斎」欄であるが、教会設立40周年の区切りでクイットの予定であったが、自らの一存でまだ続けている(笑)。...
2021年09月 · 2021/09/19
明日「敬老の日」を迎えるが、日本の総人口に占める高齢者の割合が。28.7%で毎年過去最高を更新し続けている。この数字は世界で最も高く、次いでイタリヤ(23.3%)ポルトガル、フィンランドと続く。中でも私たち夫婦の団塊の世代(1947年~1949年生まれ)を含む70歳以上の人口は2791万人(総人口の22.2%)、男女別にみると、男性は1573万人(男性人口の25.7%)、女性は2044万人(女性人口の31.6%)で正に日本は超高齢社会を真っ只中にある。 私の生家は父は63歳、母は65歳、姉、弟は高齢者になる前に亡くなり、私が一番長生きさせていただいている。現在日本は高齢化社会に入り多くの老人が生きる希望を失っていると言われていいる。自分の社会的役目を失い、疎外感の中に生き、健康面での問題をかかえ、また経済的にも不安を感じている。田中政男先生の老人介護施設で「おじいちゃん、長生きして良かったね」言ったそうだ。すると、おじいさんは「何がいいものか。生きていて何の楽しみもない」と言ったそうだ。 年を重ねていく中で一番の話題は「健康」であると思う。同様に世代を超えてクリスチャンが一番話題にしなければならない事も「霊的健康」にあるのではないか。これは終末の時代に生かされている教会のキーワードでもある。細菌やウィルスの攻撃を受けない体が健康なからだではなく、それを撃退する免疫機構を備えた体、病気から回復する力を持った体が健康なからだと言えるのである。免疫力があり、問題解消出来るクリスチャンとなること。その秘訣は主イエス・キリストの十字架の血潮によって贖われ神の子とされた者としてしっかりと神の言葉に堅く立つことである。 神と共にある人生を生きる人は、霊的健康な人として免疫力が働き病気に罹りにくいと言われている。今日も神に生かされていることを思い、いつも前向きに物事に取り組み、感謝と祈りによって一日を始め、期待と希望をもって与えられた仕事に着手し、周囲の人々を祝福し、困難に直面しても神に信頼し信仰をもって祈り一日が終わる、そんな日々を過ごしていきたいと願っている。霊、肉共に健康で主のお許しがある時まで多くの方々に「主の十字架の愛」を伝えていくことが出来るようにとも願っている。 兄弟姉妹、心の健康のために「力の限り見張ってあなたの心を守れ。いのちの泉はこれから湧く」(箴言4:23)ことを覚えながら祈っていこう。
2021年09月 · 2021/09/12
長い間待ち望んでいた出戸新会堂建設が始まった。 久しぶりに事務室に保管されている開拓時代からの週報に掲載されていた牧師の書斎欄を読んでいて、(教会設立40周年記念誌には載せてなかった)23年前兄弟姉妹に呼び掛けていた当時の私の変わらない思いを見、もう一度シェアしたいと思う。...
2021年09月 · 2021/09/05
今日、東京パラリンピックが13日間の戦いを終えて幕が閉じる。先の東京オリンピック同様、無観客での開催であったが、前回のリオパラリンピックでは獲得無しだった金メダルも、8個、銀、銅メダル合わせて33個(9月3日現在)という、健闘が光る大会となっている。いつもアスリートたちにはメダル獲得の期待にプレシャーがかかところであるが、様々な障害を持った中での競技をすることは、並み大抵ではない、とつくづく思わされる。 近代オリンピックの創始者であるクーベルタンは、「参加することに意義がある」と言ったが…。勝者も敗者の無いすべてのパラリンピアーと呼ばれる選手の一人一人に良くここまで頑張られましたね、とねぎらいの言葉をかけ、彼らからもらった感動と勇気で、今まで私たちが取り組めなかったことにチャレンジの一歩を踏み出せることにそれぞれの心から、口から「ありがとう、私も頑張れるね」と火を付けられるように祈らされている。 今回目を惹いたのは、先天性や後天性のために弱い肢体の部分をカバーする装具の素晴らしさであったり、マラソンのように共に寄り添って走る伴走者の姿であった。傍にいて励まし続けている伴走者の姿は、まさに私たちの傍を離れないで執成し続けておられるパラクレイトスなる御方そのものである。弱さに挫けそうになってしまい、やめたいと何度も思っただろう、と歓喜にいる選手の顔をテレビ画面から見る時、心からの拍手を送り、喜びが湧き上がってくるのは私だけではないだろう。教育の一環として子供たちをオリンピック会場に招待することをニュースで知った時、カロナ禍の時にと気を揉んだがその意図が分からなくもない。共感し共生を楽しめるように 「私の力は弱さの内に完全に現れる。ですからキリストの力が私を覆うために、むしろ喜んで弱さを誇ろう。私が弱い時に私は強い」(Ⅱコリント12章)