2021年10月

2021年10月 · 2021/10/31
1517年10月31日は、マルティン・ルターが「95か条の意見書」を教会の扉に掲示した記念すべき日。その意見書にはカトリック教会の免罪符制度の乱用を批判するとともに、信仰の意味を問いかけ、時同じく各地に始まっていた宗教改革がうねりとなりヨーロッパを席巻し旧教、カトリックから新教、プロテスタントへと分離した。...
2021年10月 · 2021/10/24
NHKの「ガッテン」と言う番組を見ることが多い。13日の放映分で「かむ力」というテーマの最新研究で、かむ力が弱い人ほど心臓病、脳卒中リスクがアップすると言われていた。番組では100人の方のかむ力を測定した結果、かむ力が弱い人はやわらかく脂質の多い食生活になってしまう可能性があり、脂質のとりすぎは血管にダメージを与えるという。...
2021年10月 · 2021/10/17
先週、スマホのwebサイトを開いていると、「日本のパスポートがまた『世界最強』に・・・」というタイトルが目に留まった。...
2021年10月 · 2021/10/10
昨年コロナウィルス感染拡大し、ワクチン開発が急がれ、多くの人は2021年には完全にコロナウィルス感染は終息するだろうと期待していた。今年になり、ワクチン接種が進み一時感染者が急滅したが、また変異ウィルスによって増加の傾向に変わっていく。最近は、ワクチン接種者が感染する「ブレークスルー感染」と言う言葉が盛んに使われていて、世界中の人々がいまだに日常生活が脅かされ、戦々恐々の毎日を強いられている現状が続いている。 私にとってブレークスルーと言う言葉は新しい言葉ではなく、日々の信仰生活にとって大きな力となってこの言葉を心に刻んでいるからである。以前、老練の牧師の「ブレークスルー・・・要塞をも破壊する力」「わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、 神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させる(第Ⅱコリント書10:4~5)」のメッセージを聞き大きな励ましを受け、信仰生活の様々な戦いの中でこのみ言葉によって私の信仰生活が守られているからである。 コロナウィルスによって精神的、また霊的に弱くされないように信仰に堅く立とうではないか、と兄弟姉妹に改めて申し上げたい。私たちは、みんな日々霊の戦いの場に置かれている。戦いの相手は人(血肉)ではない。日常生活の中、家族や、教会の内でも戦うべき相手はこの世の君、サタンである。巧妙なサタンは同士討ちをさせることが常套手段である。 キリスト者は神のみ言葉という武器をもってサタンに対してブレークスルーしよう!
2021年10月 · 2021/10/03
今年に入って3度も緊急事態宣言が発出されオンライン礼拝が繰り返されたが、9月30日の解除後、今日は久しぶりに教会に集まり礼拝を捧げることが出来ることは大きな喜びである。2020年に国内で感染者が報告されて1年8か月、ワクチンと治療薬の接種が進み、かつての日常生活を取り戻す入口にようやく立ったのかも知れない。しかし、ワクチン接種完了者のブレークスルー感染が相次ぎ海外の状況からも第六派の予測の中まだまだ予断は許されない状況にあるのも確かである。 コロナ禍ならではの商品であるが、旅行会社がオンラインツアー「自宅にいながら世界、日本各地を体験、特産品、お土産付き」というキャッチフレーズで企画し人気をよんでいる。テレビでもオンラインツアーが紹介され、普段行くことのできない観光地、見ること出来ない美しい夜空やオーロラなど手軽で、格安で世界の何処へでも行ける利点があると言うが…。 数年前の牧師の書斎に自衛隊八尾駐屯地の花火大会を見物に行った時、やっぱり本物には勝てないと思ったことを書いたことがあった。日本の各地で開催される花火大会がWebサイトで紹介されどこでも手軽に有名な花火大会を楽しめる。妻と一緒に部屋を涼しくして新潟県の長岡市の花火大会をテレビで中継を鑑賞したことがあった。テレビでは視覚で花火の美しさを感じても、「ドーン」という「音」や「振動」、また観客が「ワァ~~」と大声で叫び感動と共に手をたたく音等々全身に伝わってくる独特な臨場感がない。漆黒の空を焦がす打ち上げ花火の醍醐味は、「シュルシュル」という音と共に空に舞い上がっていく炎、そして「ドーン」という音とともに飛び散った赤や青や緑色の火玉が数秒間自在変化するところにある。時には予想外の展開もある。 礼拝も同じだと思う。今はウエブサイトで教会へ行かなくてもリアルで礼拝を見ることが出来る時代になっている。礼拝に行きたくても身体的な状態や様々な事情により出席出来ない人にとってウエブサイトは大きな助けになっていると思う。しかし、共に集まりその中に臨在される主を礼拝し、恵みが豊かに流され、溢れる神の現実に、包まれ、癒され、新しくされ、関わる多くの人達に私を通して福音が広がるように祈ろう。  「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」 マタイ18:20