2022年01月

2022年01月 · 2022/01/30
1週間前の土曜日の午前1時ごろ、日向灘を震源地とする震度5強を観測する地震があった。日向灘はいつか起こるであろう南海トラフ巨大地震の震源域の西の端に位置しており、南海トラフ巨大地震を可能性ゼロではないが誘発するとも言われ、今後30年以内で「70~80%」の確率で発生すると予測されている、と言う。...
2022年01月 · 2022/01/23
年が明けて、もうすぐ2月、まさにTime flies飛んでいくようである。年が改まる時は「今年こそは」と計画を実行するピッタリなタイミングではないだろうか。出来そうなことから始めようと小心で3日坊主の私のような人間でも新年にはチャレンジを始める良い機会到来たが想像に難くなく長くは続かなかい(笑)。...
2022年01月 · 2022/01/16
50数年前の事を思い出した。私が会社の仕事を辞め教会献身したとき、先輩の先生達から「同労者」呼んで下さった事である。その時、私は「同労者」という言葉を「労働者」と聞こえ(笑)、何となく違和感を覚え理解出来ないでいた。しばらく後、今度は「Co-Worker」と言われた時に意味が分かった。聖書には「私たちは神のともに働く者」(第Ⅱコリント書6:1)と書かれている。 キリストの「からだ」なる教会は兄弟姉妹に与えられているそれぞれの賜物を用いて建て上げられていく。今、工事真っ只中の出戸新会堂が建て上げられていることを楽しみにしている。地方教会に主なる神が求めておられる目的は、「宣教」であり、宣教のため神とともに働くために集められた人である。神のご計画の中心はいつもご自分の愛を注いでおられる「人」なのである。成長させられるのは神であるが、人の参与なしには事の成就を果たされないのも確かである。 アウグスチヌスの言葉に「神なしには私たちは何も出来ない。が、私たちなしには神は何もなされない」とある。コロサイ書1:6の「実を結ぶ」とは原語では「二つの働きによって実を結ぶ」という意味があるが、私の持てる能力とか経験に関係なく、神の同労者になって奉仕する時にはじめて伝道の実を結ぶ事が出来るのである。主の復活後、弟子達はオリーブ山で世界宣教の使命を与えられて、至る所で福音を宣べ伝えた時、「主は彼らと共に働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた」(マルコ16:20)。 この年「主がお入り用です」との言葉を受け止めて、それぞれの賜物を持ち寄り、神の宮の内外のためいざ鎌倉?と出陣しよう。
2022年01月 · 2022/01/09
新しい年が始まって既に9日目になる。昨年に勝った恵みを願い、様々に挑戦していこうと祈り、多くを期待している。しかし、まず、主が私たちに何を期待しておられるかを知ることが大切ではないだろうか、と思う。神の子である私たちに父なる神が今、何を望んでおられるか、と日々神のみ声を聞く準備が出来ているか、と自問している。...
2022年01月 · 2022/01/02
新しい年が始まった。これまで39年間変わらずに八尾南会堂で兄弟姉妹と共に新年礼拝を主に捧げてきた。今年の5月、新緑の候に出戸新会堂が完成する予定であるので、八尾南会堂での新年礼拝も今回で最後と思うと、神の計り知れない恵みを感謝すると共にいろんな思いが走馬燈のように巡ってくる。出戸開拓伝道が1993年から導かれ、始まり兄弟姉妹が集められ群れが出来てくると、いつのまにか一つの会堂での礼拝を願い祈るようになった。 出戸新会堂建設にあたって、超高齢化社会の伝道や次世代伝道に向けた地域伝道の拠点として遣わされた地に根差し、解放された教会となるように神が備え、用いて下さると確信している。新会堂は1階に多目的ホール、広い厨房設備というハード面が備えられたことによりこれからは新会堂をフルに生かしていけるソフト面、伝道の方策を祈っていきたい。 先週は屋上に設置する十字架の業者と作業工程について打ち合わせの時を持った。夜、LEDの白い十字架が輝き罪の暗闇の中にいる人々が、十字架のサインを見て教会に引き寄せられ、救われるようにと心の中で祈った。新しく始まった2022年の全ての日々が主の御心通り導かれ、生かされる事を願っている。 群れの兄姉方一人ひとりに信仰が増し加えられ昨年に勝った祝福を通して与えられた賜物が生かされ鈴なりの伝道の実を主に捧げる一年でありますように!