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牧師の書斎 2019.6.16

  先週、西村秀子姉の弟さんのお葬式が出戸会堂で行われた。4月下旬に秀子姉から電話があり西村宅に同居しておられるクリスチャンの弟さん大上賢一さんが入院されステージ4の転移性肝腫瘍と診断され、賢一兄が教会でお葬式を希望していますと言われた。大上賢一兄は高校生の時、秀子姉の教会で行われた結婚式を機会に礼拝に続けて出席されるようになりバプテスマを受けクリスチャンになられた。秀子姉は、弟は葬式の時に賛美してほしい曲は聖歌399番「カルバリ山の十字架」と言われ、また愛唱聖句は遺言状に残していますと言われた。


 賢一兄が入院中、数週間か数か月の残された自分の命、そこで自分が出来ることは主を証しすることだと確信されたそうでした。病院で主治医の先生に肉体的な痛みの中で、この事が「神の導きである」こと、そして自分は行くところ、天国であると証しされていた。先週日曜日、天に召される前日に家族の方に「ありがとう、ありがとう」と感謝され、10日(月)午後、天国に帰られた。お葬式の準備の時、遺言状(メモ書き)を頂いた。そこに書かれた言葉は賢一兄の信仰告白で「主イエスの母マリヤの処女降誕を信じる。主イエスは聖なるお方である。主イエスは正しくあられる。主イエスの御名を賛美し、み救いを信じ、より頼む」と書かれてあった。「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」(詩篇116篇15節)


 

賢一兄の愛唱賛美歌を前夜式、葬送式、そして斎場で「ああ十字架、ああ十字架 カルバリの十字架我がためなり」と賛美している時、十字架の上で主イエスの横に十字架につけられていた男に向かって、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ伝23:43)の言葉を思い出した。いつも送葬式に思わされることがある。それは、先に御国に帰られた主にある兄姉に会えることの喜びと共に、主の御前に出て生涯の総決算をするという事実である。


 先に往った方々と再会する希望を抱きながら、日々、私に与えられた使命を果たし主に喜ばれる者になろう。