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牧師の書斎 2019.7.21

 多くの人がそうであるように、私自身も失敗を通して大切なこと、高ぶりを示されへりくだることを学ばせてもらっていることを神に感謝している。

 

献身してから数えきれないほどのメッセージを取り次がせていただいたが、経験があるから語れる、とは違うことを否応なく教えられている。日々、自らをへりくだって神に聴くことなくしてメッセージを取り次ぐことは出来ない。私が神学生の時、先輩たちから「神学校に入って私は何も知らないということを学んだ」という言葉を聞いたことがある。人は、神について学び、偉大な力を目の当たりすればするほど、自分は神の御前に小さく無知であるかを悟るものである。りんごが木から落ちたのを見て、引力の法則を発見したとされる科学者のアイザック・ニュートンも、人からその功績をたたえられた時、「私が知ったことは、巨大な海の、海岸の砂の一粒に過ぎない。」と言ったという。ニュートンは大自然の中にある神の定めた法則を発見することを喜びとした、クリスチャン科学者だったことでこの言葉が理解できる。 

 

内村鑑三も、札幌農学校では農業や海の生物等を研究したが、神を信じた後、こう語っている。「私たちは宇宙の一小部分について知るのみ、神についてもわずかな知識の一部分を授けられただけである。人類の知識がいかに小さなものか、知者ほどそれを知っている。人間が知らざるところは、知るところよりも遥かに多い。人はまだ一本の草がいかにして育つのかを知らない。まして人について、神について知らざるところは、どれ程多いことだろう。」と。


この世には私たちの知恵、分別では到底理解できないことが多くある。日々の歩みの中で理解できない事を神に委ね、信仰をもって、主が何を教えてくださるかを期待していこう。