· 

牧師の書斎 2019.7.28

 出戸会堂の庭にも毎年多くのセミがふ化し夜明けとともにこの時季セミが大合唱していると聞いている。子供の頃、夏休みによく公園に行ってセミ獲りをしたものである。その頃よく獲った小型のニイニイセミやまたアブラセミなど何故か今はほとんど見ることがない。今は黒っぽい体に透明の翅を持つクマゼミが多数であるのを不思議に思うことがある。


 八尾南会堂に植わっているモチの木の葉にもセミの抜け殻を見るにつけ、不謹慎とお叱りを受けるかもしれないが、この世での使命を終えて天に帰られた兄弟姉妹を思い出させられる。愛する兄姉が今、黙示録4章、5章での主のもとにあって新しい歌を歌い、感謝をささげ大合唱している姿を想像することはとても楽しいことである。


この世に生きている人間のことをセミの抜け殻を意味する言葉として空蝉(うつせみ)と表現されていることは知られている。空蝉の意味は、「寂しい」とか「無常」、「空虚」など抜け殻の意味を連想される言葉である。創造主から離れたこの世はまさに「空の空、すべては空である」(伝道者の書1:2)である。


 空蝉の世に希望もなく生きていた私たちがイエス様の十字架の贖いによって救いをいただき、死はいのちの始まりであり、大いなる希望であることを信じて変えられたことを感謝している。8月はそれぞれが親族や友人と会う機会が普段よりもある時期である。
 蝉の大合唱が天の御座と生き物と長老たちとの回りに多くの御使いたちの歌う声となって聞こえるなら幸いである。「この方以外には誰によっても救いはありません。世界中でこの御名の他には私たちが救われるべき名としては、どのような名も人間に与えられていないからです」(使徒4:12)