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牧師の書斎 2019.10.13

 秋たけなわ、学校や地域活動では運動会が行われている。団塊世代に生まれ、子供時代運動会の記憶と言えば,50人超学級で1学年13クラスあり、とにもかくにも校庭に人があふれていた。家内は運動会の思い出は、やっとのことでござを敷いてスペースを確保し母と共に手作り弁当を食べた楽しい記憶がある、と言う。


 運動が得意でない私にとって運動会はあまり面白くなかった。短距離競争で1,2,3位までの人は旗の所に誘導され、順位によって冊数の違う賞品のノートを獲得するのであるが、残念ながら私は一度ももらった記憶がない。


パウロは競技場で走る選手のことについて記している。「あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい」(1コリント9:24)と命じている。この世界での賞はやがて朽ちるものであるが、私たちは永遠に朽ちない冠を獲得するために信仰の馳せ場を走りぬいていきたいと主に祈っている。
ある牧師のメッセージで「私たちに神を信じるという信仰が与えられているのは、信じている者にとっては当たり前のように思っているかも知れない、実は、奇蹟中の奇蹟です。しかも、ひとたび与えられた信仰の馳せ場を走りぬき、信仰の生涯を全うすることはなおのこと容易なことではない。・・聖書が言う『走る』とは体を動かす活動を意味していない。詩篇119:32に「私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが私の心を広くして下さるからです」と、「心を広くして下さった」とは、強いられではなく喜んでそうしたくなるようにして下さったのである。だから走るとは『情熱を傾ける』ことである。」と書かれていた。


 子供時代の運動会では賞を獲得出来なかったが、神から受ける賞を楽しみに、召して下さった真実な神様を当てにして、忍耐して走ってきた。
ホットなニュースが飛び込んできた。一度充電すると長時間使えるリチュウム電池を開発した大阪出身の吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞された。バッテリ革命をもたらし次世代に大きな遺産を残して下さった団塊世代の吉野さんに大きな拍手を送ると共に、団塊の世代に(自分も含めて)エールをもらって感謝している。