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牧師の書斎 2019.10.20

 毎日夜になると、一日の出来事を振り返りながら、失敗したことや、また物忘れで人に迷惑をかけたり、心配させることが年齢と共に増えていると思っている。気づいているだけでも多くあるのだから、気付かないで周囲の人々に不信感やつまづかせていると思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 特に、妻にはありがたいとつくづく思う。どんな時でも寛容な心をもって私を愛して受け入れ、祈ってくれているから感謝している。(兄姉方の愛と寛容にも感謝しているのは勿論であるが…)聖書は真実な書であり、人間の弱さや失敗をあからさまに記している。最初に創造された人間であるアダムとエバの失敗、続いて長男息子のカインが弟アベルを殺害する、という悲惨な人類最初の殺人事件へと続く。


 新約聖書の中にも主の弟子たちの失敗談は数知れない。聖書を読んで、何でカットしないのだろうと思われる箇所が沢山あるように思われるが、どんな失敗の人生であっても、神は必ずそこから立ち直らせて下さるという事実があるから、失敗を通して励まされ学ぶことが多くある。いや、失敗しなければ学べないというべきであろう…。

 

神は人が失敗することを承知し、許しておられるであるから、私自身も失敗も弱さも隠すことなく、頭を垂れることなく、恐れないで何度でも挑戦していく者でありたいと願っている。失敗しても、神の愛で立ち直り主の御業に生涯をかけて奔走した使徒たちのように生きていきたい。