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牧師の書斎 2019.10.27

 金木犀の花が咲き、特有の甘い香りが漂ってくる。その香りに秋の深まりを感じ、そういう風情が何とも言えない。
パウロは「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放って下さいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいかおりなのです。ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょうか。」.(Ⅱコリント2:14~16)と、福音宣教の業を、キリストを知る知識の香りを漂わす「よい香り」と表現している。罪の悪臭にまみれたこの世界に、内におられるキリストの芳しい香りを漂わせることがキリスト者の使命である。


 献身する前、50年も前の事であるが、計算機のサービスエンジニアとして働いていた。出張修理のため神崎川の傍にある香料会社に行く事が何度かあった。その香料会社の中に入る前から香りが鼻に入ってくる。修理のため通常は2~3時間位その社内で仕事をしている間、目に見えないが匂いが服にしみこんでいて、会社に帰ると同僚から「いい匂いがするなぁー」と言われた。

 

しかし、そのような香料の匂いは数時間に消えてしまう。ある人から聞いた話であるが、今の子供たちが金木犀の香りを嗅いだ時、「お手洗いの香り」だと言う。苦笑するしかない話であるが、限りなく本物の近い香りを放っている。本物と偽物とが見分けることが簡単ではない時代に生かされているキリスト者もメッキ的な信仰では簡単に消滅してしまう製造される人口的な香料のように…。


 主イエスを信じるだけでなく、また「私」が生きているのではなく、「主によって生かされている」という信仰によって、「いのちから出ていのちに至らせるかおり」が放たれ周囲の人々に平安を喜びと力を与えていく日々であるように願い祈っていこう。