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牧師の書斎 2019.12.22

 12月4日、アフガニスタンで農業用水路の建設など長年行っておられた医師の中村哲さんが銃撃されて亡くなったニュースを観て衝撃を受けた。中村医師が30年前の1989年、戦乱のアフガニスタンへ行き、次々と診療所を作る活動をしてこられたが、2000年に大干ばつが発生し、多くの死者を目の当たりにされ、生活の糧のない現地の人々が砂漠を離れ、家族が散らされていくことを憂慮し、「100の診療所よりも一本の水路を」と砂漠の緑化のための奉仕へと変換された。

 

砂漠の緑化によって散らされた家族が故郷に帰り、畑を耕し一緒に暮らすことを願っておられたからである。医師でもある中村哲さんが水路建設のために自らパワーショベルを操作し、現地の方と共同作業しておられる姿を放映されているのを何度も観た。中村医師が現地の人々から慕われ、惜しまれている声が耳に残っている。それを見ながら私は「中村医師はクリスチャンではないだろうか」と思い始めた。それでウェブサイトで「中村哲医師、アフガニスタン、クリスチャン」と入力し検索をすると沢山出てきた。それを読んで、先週の礼拝メッセージで中村医師のことを語らせていただき、22日の週報の「牧師の書斎」にも載せクリスチャン医師中村哲さんを改めて紹介したいと思っていた。


クリスチャンプレスには「中村さんは西南学院中学3年生の時、日本バプテスト連盟・香住ヵ丘バプテスト教会でF・Mホートン宣教師よりバプテスマを受ける。・・・内村鑑三「後世への最大遺物」を読んで、「自分の将来を日本のために捧げる」とい使命感を持ち、また『山上の垂訓』(マタイ5~7章)は暗記するほど読んだという。」と信仰の経歴について記されていた。


 山上の垂訓の中に「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。これが律法であり、預言者です」(マタイ7:12)とあるが、主イエスの教えを中村医師は自ら実践された。中村医師のように生きることは出来ないが、それぞれの置かれた所で主の教えを実践できることから始めたいと願い一歩前進させていただこう。