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牧師の書斎 2019.12.29

 今年も越年感謝礼拝を迎えることが出来感謝である。誤解をまねく言葉であるが、“やれやれ”という気持ちである。「やれやれ」を辞書で引くと、「①感動を与えることば。『―うれしや』 ②気がゆるんだ時に発することば。『―助かった』③疲れたり、失敗したときに発することば『―またしくじった』」と説明してあった。当然①であるが…。


このクリスマスも、神が新しい人を送って下さり「ヤレ嬉しや」と感動を与えられて発(ハッ)するさせられている。
2019年、年の初めの元旦と新年礼拝では創世記1章から「神が創造されたすべてのものは非常に良かった」というテーマでメッセージに導かれた。「良かった」とは、「楽しい、快い、嬉しい」という意味がある。神が熟慮を尽くして創造されたので後々までも見守られる、とみ言葉から示唆をいただきスタートさせていただいた。一年を振り返り兄弟姉妹にはどのような年であったか。毎週の週報に「今年のテーマ・創造的信仰に立つ・・・神は見て、それを良しとされた」と書いていたが、私たちの教会に下さった測り知れない恵みを覚えながら、共に「アーメン」と主に感謝しよう。


2020年、新しく始まる年に向かって私自身の心は燃やされている。「2020、東京オリンピック開催」だからではなく、天地創造の第一日目の言葉「こうして夕があり、朝があった」(5節))に励まされているからである。また、ゼカリヤ書14章に「夕暮れ時に、光がある」(14:7)と約束されているように、一日の起点は朝からではなく、夕方から始まることに確信を新たにしている。長い間の遅々と進まない現実の中で失望、落胆の思いに翻弄され不信仰にあった夕暮れを悔い改め、主に目を注ぎ、バリヤフリーの新会堂建設に向けて一つ一つ整えられていくと信じている。
 南木の本会堂建設の全く望みのない時「主があなた方のために戦われる。あなた方は黙っていなければならない」(出14:14)と声をかけて下さり、その通り主が全てを導かれ、ご自身の栄光を現された。


その目撃者である兄弟姉妹、もう一度心の帯を引き締め、信仰を働かせ主の成される栄光の御業を共に拝そう。