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牧師の書斎 2020.1.19

 先週の17日、阪神大震災から25年、記憶が風化することに被災地の人々が危機感を覚えている。「6434人の輝き忘れない」.様々な追悼イベントが開催されている。1995年1月17日午前5時46分、あの日の朝は決して忘れることは出来ない。まだ布団の中にいた私は突然の大きな揺れで目を覚まし、外に出た方がいいのかどうか躊躇していた。しばらくし、地震は収まり家族が集ってテレビをつけ、震源地は神戸であると分かった。時間の経過と共甚大な被害の映像を見て言葉を失った。

 

KBIへ行く時何度も通った阪神高速の橋脚が崩壊し横倒しになった姿、方々から上がっている黒煙、ライフラインの寸断、亡くなられた方々の人数等々、誰もが、何か自分にできることはないだろうか?と、思うほど深刻な、悲惨な状況が日々報道されていた。妻が、「出来る事は何か神戸に行こう」と言いだし、大阪からの鉄道は分断され交通機関が不通であったので大阪港から船で三宮に出かけた。町を歩き光景を目に言葉を失い、涙があふれた。ただ「主よ、助けて下さい。憐れんでください」と、教会のみんなと何が出来るかと祈った。

 

神戸市長田区の大国公園で炊き出しに導かれた。後日、私は機材や食材を満載したトラックを運転し、家内はワゴン車に兄弟姉妹を乗せ、ある姉妹方は回りまわって現地に到着した、総勢15人。炊き出しは2回しかできなかったが焼きそばや中華丼、焼き鳥を用意し食べていただいた。その時の被災者の笑顔、また兄弟姉妹の顔の輝きを.忘れることが出来ない。14日の朝刊に震災から2週間後、被災者である小学校教師の臼井真さんが、生まれ変わる神戸の街にと綴りわずか10分で完成した「しあわせ運べるように」が紹介されていた。「地震にも負けない強い心を持って、亡くなった方々のぶんも毎日を大切にいきてゆこう…生まれ変わる神戸のまちに…」この詞に津波で家族を亡くした被災者が励まされ立ち直った。

 

東日本大震災を経験し、今後30年以内に70~80%の確率で南海トラフ巨大地震の発生が予想されている。その時、私たち教会に出来ることは何か、祈り備えていきたいと願わされている。