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牧師の書斎 2020.1.26

 今年に入って教会の聖書通読一日一章はエステル記、コロサイ書、ヨブ記へと導かれている。ヨブ記を読みながら、人とは?と考えさせられる。

 

生きる中で様々な問題に出会い苦しむ時、迷いの森に入ってしまう。生きるということそのものがいつの時代でも私たちにとって大きな問題である。愛である神がどうして?と思わされるほどこの世界には余りにも多くの苦難がある。この書のテーマは「正しい人がなぜ苦しまなければならないのか?」。何故、善人が苦難に遭い、悪人が繁栄して幸福でいるのか、神がおられるなら何故そのような矛盾があるのか…信仰者を悩ます難問である。人間から神へ「なぜ」「どうして」「いつまで」といった真理を求めようとする者にとってきわめて大切な 「問いかけ」であるが、神からの応答はない。ヨブはこの問題について論議し、自らの悲惨な状況の中で神に問いかける。彼の信仰は私たちが苦難の中を歩むとき勝利の希望へと導いてくれるのである。

 

「神の知恵とその御心は、人間には計りがたく、極めがたいものである。だから、人間にとって『神がおられる』という一言がわかれば、それで十分である。あとはすべてを神のゆだね託すればよいのだ。人間の考えをはるかに越えた、神の配慮を喜べばいいのだ。人間の知恵はしょせん頼むに足りない。神への全き信頼、それが信仰なのである」とクリスチャン作家の三浦綾子さんの著書にある。


北朝鮮拉致被害者の会の横田早紀江さんは、娘めぐみさんの拉致事件の後、絶望の淵に立たされていた。その間、多くの宗教団体の人が訪れて来、「こうした事件に巻き込まれる原因は、必ず先祖にある。父母の先祖の罪は子にまで及ぶ。ここできちんと先祖を供養し、先祖の霊を鎮めれば必ず事件は解決する」と何度も何度も繰り返し聞かされたそうである。そんな中で、教会の家庭集会に導かれた横田早紀江さんは神に出会った。姉妹は、拉致事件が解決されない中で「苦しみに遭ったことは、私にしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇119:72)と証しされている。半世紀を超えて神ご自身を信じ導かれ、多くの幸いと試練に直面してきたが、どのような中にあっても、神は、アーメンなる真実な神でおられる。感謝!