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2020.6.7 牧師の書斎

今日から新しい生活様式で、教会での礼拝が再開される。ネット配信礼拝を始めた4月から教会の聖書通読の箇所は詩篇である。私は少し先の章を通読しているが、120篇から134篇まではエレサレムに巡礼する人びとによって歌われた「都上りの歌」である。

 

「人々が私に、『さあ、主の家に行こう』と言ったとき、私は喜んだ」(122篇1節)、また133篇1節に「見よ。兄弟たちが一つとなって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上に注がれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れて、その衣のえりまで流れしたたる」と賛美している古の聖徒たちの姿に私たちの現在を重ね大きな喜びがやってくる。18歳の時から今までの50数年の信仰生活で経験したことのない「新しい生活様式」での教会礼拝がスタートする。誰もが皆、戸惑いながらいつまで続くかわからないコロナウイルスとの戦いではなく、共存を図りながら慎重に始めていかなければならない。教会の玄関で検温と手を消毒し、マスク着用をチェックし会堂に入る。しかも三密を避けるためソーシャルディスタンスを保つ席の配置、大きく口を開けて賛美することを控え、愛餐の時がない・・・。

 

メッセンジャーは会衆の顔を見ながら、御言葉に反応し、応答されているかを見、主から託された御心を伝えさせていただいているので、マスクに覆われていることは残念である。しかし、共に集い、主もまた私たちの中におられることを確認できる礼拝は感謝である。

 

しかし、マスクはウイルス菌にとって大きな壁となり、盾となって彼らの侵入を防いでくれているすぐれものである。世界中で「マスク」のイメージがコロナ禍で大きく変わった。隣人への思いやる「マスク」でも…マスクを着用しなくてもよい、思いきっり心の底から賛美をし、食事の交わりが出来る日が来ることを願うばかりである。