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2020.8.16 牧師の書斎

教会のメンバーやクリスチャンの友人宅の玄関に聖画やみ言葉の額が置かれているのを見て、ドアを開けられる方々への「信仰の証人」としての静かな奮闘を思い嬉しくなる。

 

我が家の入口の内側のドアの上には「我と我が家はともに主に仕えん」の木彫りの額が掛かっている。ユダヤ人の各家の玄関や、ホテルの部屋ではドアの脇に「メズーザ」がある。小さな箱の中には「これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家に座っているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。 これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい」(申命記6:4~9)の印刷された御言葉がその教えの通りに入っている。

 

我が家には「夕暮れに涙が宿っても 朝明けには よろこびの叫びがある」(詩篇30:5)や「平安のうちに私は身を横たえ すぐに眠りにつきます 主よあなただけが わたしを安らかに住まわせてくださいます」(詩篇4:8)と友人の自筆の御言葉も額に入れて掛けている。

 

信仰生活は悲喜こもごも。喜びの日あり、戦いの苦しい日もある。そんな試練から脱出する道は?打ちのめされたような時心にゆとりを与えてくれるのはやはり神の言葉である事は言うまでもない事実であり。私自身、目にするみ言葉によって今までどれほど励まされてきたか測り知れない。兄弟姉妹、あなたの目にはどんなみ言葉が見えますか?