2021.2.7 牧師の書斎

コロナウィルス感染拡大によって昨年3月に初めて聖餐式を中止することになり、感染が収束しない今も行うことが出来ていない。

 

開拓から毎月第一主日には必ず礼拝に引き続き、数年前からは礼拝の中で聖餐式を続けていた。出戸では、家内の希望もあって20年以上もまえから毎週、聖餐式を続けて持っていた。教会はキリストのからだであり、この世の罪から贖われ、パプテスマを受けた兄弟姉妹はキリストのからだの各肢体である。一つのパンが裂かれるとき、キリストが十字架の上で罪も傷もないからだがさかれ、『キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです』(Ⅰペテロ書2:24)のみ言葉を引用して兄弟姉妹の病からの癒しを宣言してきた。事実、今までの聖餐式の中で、信仰の宣言によって神の癒しの御業を見ることも出来た。主イエスが十字架にかかられる前の夜、弟子たちに「あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が、来られるまで、主の死を告げ知らせるのです」(第一コリント書11:26)と聖餐式を執り行うことを神は命令されている。

 

聖餐式は救いの原点であるキリストの十字架の贖いに心を向けることによって、罪の赦しからの救いの喜びを感謝し、また主にある兄弟姉妹と共に再び私たちを迎えに来られる主に会う準備をさせてくれる大切な礼典である。家内が聖餐式を持てるように大きな教会が使っている一人用のパッケージを探していたが、姉妹がウェブサイトで調べて下さった。皆考えることが同じようで商品は品薄らしい。

 

普通に行ってきた聖餐式だが(勿論、何時も感謝の時であったが)、コロナ禍で持たれる聖餐式は共に集められた一人一人に改めて十字架の恵みが溢れる事だろう、と礼典を再開できることに感謝している。