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2015.4.4 牧師の書斎

数週間、一日一章のみ言葉としてエゼキエル書を通読してきたが、いよいよ終わりに近づいてきた。

 

先週のみ言葉はエルサレムの東向きの門に言及されている。オリーブ山からエルサレムの旧市街地を取り囲む城壁があり、真正面に黄金の門と言われている東の門が眼下に見える。エゼキエル書43章以降には、主の栄光はその東の門からエルサレムに入って来る(2,4,5節)と記されている。またゼカリヤ書14章には、「主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷が出来る」(4節)とある。

 

ずいぶん前になるが、エルサレム訪問時に、現地ガイドの方が「近年、オリーブ山の下に断層が発見された」との説明を聞き、今更ながらではあるが、神の言葉の確かさと、再臨信仰を覚醒させられた。主イエスが十字架にかかられるためエルサレムの東の門から入城された時と同じように、再び戻ってこられる時もこの門からエレサレムに入って来られるのである。これが聖書に記されている神のマスタープランだ。中世期以降にこの地を占領したイスラム教徒によってこの東の門は塗り込められ、固く閉じられ、当然ながら、今は誰も通ることができない。

 

家内がエルサレムで倒れ入院し、保険の都合で通院を余儀なくしていた際に、どうしても東の門の側に行きたいと言い出しタクシーで回ってもらった事があった。小一時間くらい東の門のすぐそばの墓の上に座わり、主が来られ瞬間に東門が開放されることを思い描きながら至福の時を過ごした。黙示録21章に「新しいエレサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて」いたように、キリストの花嫁である私たちが「アーメン。主よ 来たりませ」と主イエスに会う備えができますように。