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2021.4.18 牧師の書斎

20世紀最大の発明はコンピューターだと言われている。パーソナルコンピューター(PC)として小型化、軽量化され手軽に持ち運び生活になくてならない道具となり、全世界にくまなく普及しており、私にとっても必需品である。その昔、若かりし、駆け出しの伝道者の頃、メッセージの準備の時には、聖書語句辞典、また注解書や又、よく百科事典を開いて調べていた。

 

昔、百科事典は私にとっては高価であったが、必需品だったのでお金を貯めてセットで思い切って買った。辞典の大きさがA4サイズで厚みが4㎝ぐらい、全巻で20数冊、書架に並べて満足だった。しかし、今は手のひらサイズのスマホで簡単に検索できる。よって、数年前に書斎の場所をとる古くなった百科事典は処分した。今、スマホの恩恵に浴していることは否めない。しかし、同時に危機感も持っているのも事実だ。

 

BFP・Japanからの発信「YORIAI」に登録し、毎週メッセージを読んでいる。先週は「現在は、形のあるもの、ないもの、さまざまな偶像に満ちている。イデオロギーから科学主義、進化説、人間至上主義などまで、人間が信頼を寄せているものは、偶像になりえる。…もちろん、カネや知識、学歴や地位、さまざまな所有物も偶像になり得ます。人間が作ったものだからです。最近、最も脚光を浴びている偶像はスマホでしょう。現在人のスマホ依存は目に余るものがあります。いや、スマホ依存というより、スマホ礼拝です。・・もうスマホなしには生活が出来ないのです。スマホに洗脳され、スマホに仕え、スマホに従い、スマホの奴隷になっています。もはやスマホは単なる文明の利器ではありません。人間の心を支配し、人間を動かす『偶像神』です。」と。

 

危機感が募っている。「悪魔はほえたけるししのように食いつくすべきものを求めて歩きまわっている。」(Ⅰペテロ書5:8)

スマホをちょっと手から離して、目を主に向けて、より頼むべき主を第一にして過ごせるように!よい選択をしよう。