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牧師の書斎 2019.3.3

 3月に入り寒さも和らいでいる。この時期、「啓蟄」という言葉が聞くが、これは「暖かくなって生き物が土から出てくる時期」のことである。厳しい冬の寒さから開放された春は、私たちだけでなく草花や木々もなんだか喜んでいるように思える。私たちは自分自身の殻の中に閉じこもっていないで、主の御顔を仰ぎ、主の御声を聞こうではないか。

 

春先にいつもソロモンの雅歌のみ言葉を思い起こす。神が私たちに「ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。地には花が咲き乱れ、歌の季節がやってきた。山場との声が、私たちの国に聞こえる。・・・岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に、顔を見せておくれ、あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい」(11,12,14節)とこのように呼びかけておられるので嬉しくなる。またこの時季、岩淵まことさんが作詞作曲された「喜びの季節」の歌詞「道端の花からも歌が聞こえるよ 木漏れ日も踊りだす 喜びの季節・・・」を口ずさむ。


 春は陽射しもやわらかく、吹く風さえも心よいものに感じが、また「春眠暁を覚えず」と言われ、朝の目覚めが悪いし、日中もなぜかこの時期いつも眠気を誘う。その医学的メカニズムは、春先は低気圧と高気圧の入れ替わりが激しく、自律神経の調整が難しくなるため、交感神経と副交感神経のバランスが乱れがちになるそうである。光の天使に偽装したサタンが巧妙に私たちの信仰を眠らせようと働いてくる。だから「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい」(ルカ22:40)と主は言われる。優しいさわやかな神の愛の風が吹くこの時季、神を賛美し、祈ろうではないか。