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牧師の書斎 2019.3.17

J兄の機織り少女の故郷探しは、当初釜山から大邱のルートと断定され、大邱に近い村に養蚕のための桑畑があることが判明し大邱の民族博物館へ行って、民俗学の専門の先生にも会われたが、その後、長曾我部軍は大邱ルートではなく、全羅道南原、全州コースだと分かった。


 慶長2年(1597年)8月、秀吉軍は全羅道南原城を包囲下に置き、12日に戦闘が開始され16日に南原城は陥落する。この時、城を包囲した大名の一人は土佐の長曾我部元親で、部下の小谷与十郎が城の陥落後、機織りの少女を土佐の上川口に連れてきた。
 

J兄はウェブサイトで南原周辺に桑畑があるかも知れないと思われ確証を得るため私に南原にいる牧師を知らないかと、尋ねられた。私は、ソウルに住む友人の朴牧師に誰かを紹介してもらえないかとむくげの花の少女の事、また今までの経緯を詳しくかいてメールを送った。すると、すぐにメールで返事が来て、「今、大阪にいます」ということで早速翌日に会うことになった。タイムリーな主の導きを感じながら、絵本を見せて事情を説明させていただいた。話に感動された朴牧師は、むくげの花の少女の故郷探しのため協力して下さることになった。

 

その後、J兄が南原市の教会や市役所とコンタクトを取ろうとしたが進展しなかったため、朴牧師に直接南原市へ行って調査してもらう事になった。南原市で神はこのために最も相応しい人を用意しておられた。南原市の文化院院長である。この出会いは、南原市長や教会を動かす次のステップへと導かれていくきっかけとなった。