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牧師の書斎 2019.3.31

 今年の1月下旬、むくげの花の少女の故郷と断定することが出来てから初めて南原を訪問した。釜山から高速バスで約3時間かかって到着した時、私の中に高揚感と、緊張感があった。


 南原市の文化院長がまず南原城址を案内して下り、今は西の城壁の一部しか残っていないが、この場所で400年前、城壁を包囲した土佐の大名、長曾我部元親や、小谷与十郎がむくげの花の少女を捕らえ、上川口に連行したことを想像し心が痛んだ。次に、南原郊外の村、寿洞村に案内された。その村は農業が主で昔から桑畑があったところで養蚕業を営んでいる村であった。長い間、忘れられていたむくげの花の少女の故の地に私が何故か立ち、ようやく高知の上川口と南原という点が結び合わされたことを思い喜びがこみ上げてきた。早く、高知に住んでいる「むくげの花の少女」の著者、植野雅枝さんに報告したいとはやる思いを胸に帰国の途に就いた。


それから暫くしてから、文化院長から連絡があった。2月27日に南原市のキリスト教会連合の集会が東北教会で開催されるので、そこで「むくげの花の少女」のことを紹介してほしいと要請された。夜の集会の前に、市長と面談する時間が設定されており、市長はむくげの花の少女の事を聞いて感動され、市として今後の日韓の文化的交流のため協力して下さることになった。


 一冊の絵本との出会いから、著者に会い、小谷家の人たち、黒潮町の人々、また韓国の南原の文化院長や市長、牧師先生たちの出会いの中心に主がおられ助け導いて下さっていることに感謝と共に「なんで私が」と思いながら主の御思いに今わくわくしている。  (続きます)