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牧師の書斎 2019.3.24

絵本「むくげの花の少女」の著者、植野雅恵さんは地元、上川口に伝わる400年前に連れてこられた朝鮮国機織り少女の話を、ご主人が挿絵を担当されて22年前に自費出版された。


 朝鮮から連行された少女は毎日望郷の涙を流す毎日を送っていた。やがて涙は枯れ、機織りをすることで悲しみを忘れようとし懸命に働いた。少女の織る布が美しく、その噂が幡多の郡に広がり、やがて少女に機織りを教えてほしいと遠くからも女の人たちが来るようになった。少女は多くの人たちから愛され、慕われたけれども帰郷は叶うことはなく、やがて亡くなった。「むくげの花の少女」という名は、少女の住んでいた家の庭いっぱいにむくげの花が植えられていたことから付けられたそうである。少女が亡くなってからも、機織りをする人たちの子供から孫へと語り継がれていったのである。


 少女を連行した小谷武将5代目の子孫が1700年に墓を作り、今でも土地の人たちから大切に守りつがれている。毎年、小谷家の子孫が墓に集まり、その後で近くにある会所で親睦の時を持っておられるそうである。また、むくげの花が咲く7月には幡多郡の小学生たちも少女のお墓に集まってくるという。


 植野雅恵さんは地元の学校が主催する「人権参観日」にゲストとして招かれ、国、民族、人種が違っていてもみんな家族という

「The family of Man」とむくげの花の少女のことを話され、多くの子供たちが感動したそうである。子供たちからの質問の時、「むくげの花の少女の名前は?  朝鮮のどこから来たの?」という質問を何度も受けたが、その都度返答に困ったと言われていた。今回思いもかけないこの関わりを通して400年の歴史に光が当てられるかと思うとわくわくしてくる。    (続く)