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牧師の書斎 2019.4.7

南原の町は日本の京都の雰囲気を感じさせる。高麗時代からの歴史的な建造物が多く、国に指定を受けた遺跡や建造物が300以上あり、屋根のない博物館を言われているそうである。


その中でも、日本と関係のある沈寿官陶芸展示館があり、私は今年の1月その展示館を訪ねた。
 陶磁器で有名な南原の「陶磁器戦争」とも呼ばれた慶長の役(1592年~98年)の際、薩摩藩と島津義弘は70人の陶工を日本に連行した。この時の陶工たちが薩摩焼の源流となった、と言われている。


 司馬遼太郎著書「故郷忘じがたく候」は第14代沈寿官に出会うことによりこの小説が書かれた。400年以上に渡る長い薩摩焼の歴史の祖となった朝鮮陶工たちは遠い異国の地で多くの苦難にあったにもかかわらず、日本はおろか世界にも認められる「薩摩焼」を発展させ伝統を守り続けた。彼らの多くの功績の裏には、機織りの朝鮮国女「むくげの花の少女」のように強い望郷の念、帰郷の思いがこめられていたのであろう、と複雑な思いに駆られる。


 慶長の役の時、連れてこられた朝鮮陶工によって有田焼、唐津焼、萩焼をも手掛けられためたものであり、日本の陶芸に大きな影響を与えていることを.思うと日常使っている陶器に植野雅枝さんの「国、民族、人種が違っていてもみんな家族The family of Man」の言葉を思い出さずにはいられない.。全ての事が神のご計画の中にあると信じて、南原と黒潮町との文化交流のため私に何が出来るか祈り求めて行きたい。