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牧師の書斎 2019.4.21

新緑の眩しい季節となってきた。先週、女性会の野外礼拝で奈良の馬見丘陵公園へ行った。園内のチューリップが花盛りだけでなく、木々の枝から淡い緑色の新芽を見、季節が変わっていく中で心がウキウキし、創造主を心から賛美させられた。


 「木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、苗木のように枝を出す」(ヨブ記14:7~9)のみ言葉のように命の息吹を感じる。晩秋に落葉し冬の間死んだように見える樹木が、春の到来と共に新しいいのちの息吹を与え新しい衣で覆い、再生させられる神を賛美せずにはいられない。


 今日は主が死を打ち破り、墓からよみがえって下さった事を記念する復活(イースター)礼拝である。この時期になると、いつもクリスマスのように商業ベースによって習慣化されて国民的行事となっていない事実がイースターにはあるように思わされている。バレンタインデーはもとより最近では、ハロウィンを祝うことが年々エスカレートしてきている。しかし、イースターだけは商業ベースに乗せないのは何故だろうか?「キリストが十字架にかけられ、三日目によみがえられた」という事をもっともっと宣伝してくれたらいいのに…と。


でも、この世と結託しているサタンがその頭を砕かれ完全にノックアウトされた十字架を認める訳にはいかない。十字架の福音を信じ、その恩寵の恵みに預かって新しい人生を生きている私たち、一人一人が「証人」となってキリストの復活のいのちの現実を伝えていく事を主が期待しておられる。