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牧師の書斎 2019.11.10

 紅葉前線が南下し、車を走らせながら街路樹が色づいているのを見ると創造主をほめたたえ喜びがやってくる。古い話であるが山好きな私は山の斜面全体が紅葉しているのを見ると「ワォー」と感動し何度も叫んだものである。

 

クリスチャンになってからは紅葉の感動は、創造主なる神への賛美に変えられている。紅葉の後の落葉の光景を見て侘しく感じる人もいるが、紅葉は再生へのメカニズムである。ウェブサイトで調べると「夏の間、葉ではクロロフィルが光を吸収して活発に光合成が行われる。落葉樹の葉では、気象条件が光合成に適さない冬を迎える前に老化反応が起こる。この過程では光合成の装置が分解されて、葉に蓄えられた栄養が幹へと回収される。翌年の春にはこの栄養は再利用される。栄養が十分に回収された葉は、植物ホルモンの一つ、エチレンの働きによって葉柄の付け根に離層が出来、枝から切り離される」と説明されていた。

 

冬の間、枯れ木のように見える山が春の到来とともに一斉に新しい芽を出し新緑に染め再生されていく姿は壮観であり、神の創造の大いなる御業をほめたたえずにはおれないのである。ヨブ記に「木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない」(14:7)とあるが好きな聖句の一つである。

 

身近な所で再生の実物レッスンを提供して下さっている創造主なる神は、主を信じる者に「たとい死んでも生きる」こと、永遠の御国入る約束を下さっていることを思い感謝せずにはいられない。忙しい時間をちょっと割いて近くの山、公園に出かけ再生の恵みを見届けて、元気をいただこう。