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牧師の書斎 2020.3.15

 昨年末(12/30) 李医師の同僚が参加するSNS(交流サイト)「微信(ウィーチャット)」のグループに「海鮮市場で7件の重症急性呼吸器症候群(SARS)に似た肺炎が確認された」と書き込んだが、武漢市公安当局は李氏の書き込みを、事実でない書き込みであり「治安管理処罰法」に違反しているとして李氏を処罰した。その後、市公安当局は過失を認めた。李医師は新型肺炎に罹患し2月7日に天に召された。中国政府や武漢市は初期対応に問題があったことを認めており、李氏の書き込みは削除されていない。国民からは李氏の死を悼むコメントが次々に寄せられている。中国共産党機関紙の人民日報を含む中国国内メディアは、微博アカウントなどで李氏の死亡を速報し、哀悼の意を表した。


森祐理さんの先日のラジオ番組「モリユリのこころのメロディ」で紹介されたお話し「新型コロナウィルスを最初に発見した「武漢中心医院の眼科医、李文亮氏はクリスチャンです。」李文亮医師は入院中にこんな詩が残されていた。「私は英雄になりたいのではない。まだ両親や、妊娠している妻がいる。妻はまもなく出産を迎える。病棟には私の多くの患者がいる。両親は他の善良な人たちと交換出来ない。ともかく前進するものがない。この国と家族を選ばした者は誰か。どれ程、悲しみを負わなければならないのか。この戦いが終った時、私は空を見上げる。雨のように涙を垂らして。私は英雄になりたいのではない。ただ医師としてこの未知のウィルスを見過ごすことは出来ない。私の同僚を傷つけながら、そして数えきれない何の罪のない人を。彼らは死に行くが、私の目は常に向いている。生きていることを願いながら、私は死ぬなどと誰が一体思ったであろう。私の魂はもう天国に行っている。広いベッドを見つめながら、そのベッドの上に私のからだが横たわっている。よく見慣れた顔だ。両親はどこにいるのか?私の愛する妻、かつては追いかけることも難しかった妻はどこにいるのか? 私はすでに世を去った。私の体を人が運ぶのが見える。


袋の中に入れて大勢の同胞が並んでいる。私のように去って行った火葬場の火の中に押し込まれていく。夜明け前に「さようなら」。愛する者たちよ「さようなら」。私の故郷武漢の願わくばこの恐ろしい大惨事の後に、皆さんが思い出てくれることを。出来るだけ早くこの真実を伝えようとした人がいたことを。願わくば、この大惨事の後に「義とは何か?」皆さんが知ることを。善良な人を終わりのない恐怖の中にこれ以上苦しむことのないように。」と。


「私は戦いをりっぱに戦い抜き、走るべき行程を走り尽くし、今や義の冠が待っているばかりである」 (Ⅱテモテ4:7~8 )最期の聖書の御言葉で締めくくられていた。神から信任されているミッション(使命)にそれぞれが何が出来るのか祈ろう。