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2021.9.5 牧師の書斎

今日、東京パラリンピックが13日間の戦いを終えて幕が閉じる。先の東京オリンピック同様、無観客での開催であったが、前回のリオパラリンピックでは獲得無しだった金メダルも、8個、銀、銅メダル合わせて33個(9月3日現在)という、健闘が光る大会となっている。いつもアスリートたちにはメダル獲得の期待にプレシャーがかかところであるが、様々な障害を持った中での競技をすることは、並み大抵ではない、とつくづく思わされる。

 

近代オリンピックの創始者であるクーベルタンは、「参加することに意義がある」と言ったが…。勝者も敗者の無いすべてのパラリンピアーと呼ばれる選手の一人一人に良くここまで頑張られましたね、とねぎらいの言葉をかけ、彼らからもらった感動と勇気で、今まで私たちが取り組めなかったことにチャレンジの一歩を踏み出せることにそれぞれの心から、口から「ありがとう、私も頑張れるね」と火を付けられるように祈らされている。

 

今回目を惹いたのは、先天性や後天性のために弱い肢体の部分をカバーする装具の素晴らしさであったり、マラソンのように共に寄り添って走る伴走者の姿であった。傍にいて励まし続けている伴走者の姿は、まさに私たちの傍を離れないで執成し続けておられるパラクレイトスなる御方そのものである。弱さに挫けそうになってしまい、やめたいと何度も思っただろう、と歓喜にいる選手の顔をテレビ画面から見る時、心からの拍手を送り、喜びが湧き上がってくるのは私だけではないだろう。教育の一環として子供たちをオリンピック会場に招待することをニュースで知った時、カロナ禍の時にと気を揉んだがその意図が分からなくもない。共感し共生を楽しめるように

 

「私の力は弱さの内に完全に現れる。ですからキリストの力が私を覆うために、むしろ喜んで弱さを誇ろう。私が弱い時に私は強い」(Ⅱコリント12章)