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2021.9.26 牧師の書斎

随分前の執事会で、「日頃、先生が考えていることを信徒に伝えてもらえたら」との発言を受け、その場で「じゃあ、週報に載せたら良いですね」と、そこから始まった「牧師の書斎」欄であるが、教会設立40周年の区切りでクイットの予定であったが、自らの一存でまだ続けている(笑)。

 

思っていることを言葉や文章で伝える事は難しいものである。そう、気心がわかり合っている筈の熟練夫婦でも噛み合わないことが度々ある。神の家、八尾南の群れに導かれた私たちも、である。キリストの御体の肢体の一部分となり、目指すは、主キリストの栄光のため、御体を建て上げるために合わせられ、共に生かされているのであるが、現実はどうだろう。「失敗学」なる本を最近読んだが、全てをそつなく上手くやろうとすることから解放されなければ物事も、人との関わりもうまくいかないで、ますます遠ざかってしまう。失敗は成功の基とはよく言ったものであると、失敗を歓迎しよう。

 

最近、無料で配信され、楽しみにしているドラマがある。「赤毛のアン」の舞台、カナダのプリンスエドワード島のアヴォンリー(実在しない)での人間模様、悲喜交々が描かれていて、赤毛のアンの関わりの人たちも登場していて、一緒に笑ったり泣いたり共感している。人は人によって様々な事を気付かせられて成長していくことをも再認識させられている。

 

「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる」箴言(27:17)の言葉である。2020年2月以来コロナ感染が1年7か月経っても治まらない。誰もがこんなに長くコロナウイルスに翻弄され、カウンターパンチを受けるとは予想だにしなかった。行動規制される中、自粛生活の弊害は多方面に及び、残念なことに亡くなられた方も多くおられる。今まで、主なる神が、良くも悪くも兄弟姉妹方、互いの交わりを用いて成長をもたらすことを経験させられた事を実感している。

 

今、コロナ禍で疎遠になっているお互いを思いやって祈りあえるなら、感染終息と共に始まる「新しい生活」はきっとその交わりを通して今まで予想だにしなかった主の愛の広さ、長さ、深さ、高さ(エペソ3:18)を知ることが出来ると確信している。こんなことをあれこれ考え祈りの内に楽しみにしている今日この頃の私である。