· 

2021.10.31 牧師の書斎

1517年10月31日は、マルティン・ルターが「95か条の意見書」を教会の扉に掲示した記念すべき日。その意見書にはカトリック教会の免罪符制度の乱用を批判するとともに、信仰の意味を問いかけ、時同じく各地に始まっていた宗教改革がうねりとなりヨーロッパを席巻し旧教、カトリックから新教、プロテスタントへと分離した。

 

人は罪人であって教育や、修養、頑張って努力して宗教的な生活を続けても変わらない。罪人が生まれ変わっていない教会は一般の宗教と変わらない。今も生きておられる主と出会い、主イエスの十字架の贖いを信じなければ人は救われないし、絶対変わらない。生きておられる主が臨在しておられることを喜び感動し、神の御心を求め近づくのが礼拝である。宗教改革は神のみ言葉に帰ることであり、私たちは神のみ言葉通り、主イエスの教え通りに生きているか、と自らに問うことである。地域に立てられた教会は日毎に改革されるべきである。同時に私たちクリスチャンの生き様も、日々改革され、主イエスのように生きることを心に願い持つべきである。

 

いつの時代もそうであると思われるが、人は救われた当初、深いみ言葉に対する渇きや求めを持つが、信仰生活を続ける中、いつの間にかこの世の風潮に流されてみ言葉に対しての渇きが感じて来なくなってくる。しかもその事に対する危機感がない。神のみ言葉はみ言葉、生活は生活という二元的な生活が習慣化していく危険がある。私にとっての宗教改革とは日々、み言葉に賭け、み言葉によって変えられ、それによって周りの人々も主を求め、変えられていくことではないか。

 

宗教改革から500年の今、様々なしがらみをもう一度十字架につけ更なる「変革」を求めていこう。