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2022.1.16 牧師の書斎

50数年前の事を思い出した。私が会社の仕事を辞め教会献身したとき、先輩の先生達から「同労者」呼んで下さった事である。その時、私は「同労者」という言葉を「労働者」と聞こえ(笑)、何となく違和感を覚え理解出来ないでいた。しばらく後、今度は「Co-Worker」と言われた時に意味が分かった。聖書には「私たちは神のともに働く者」(第Ⅱコリント書6:1)と書かれている。

 

キリストの「からだ」なる教会は兄弟姉妹に与えられているそれぞれの賜物を用いて建て上げられていく。今、工事真っ只中の出戸新会堂が建て上げられていることを楽しみにしている。地方教会に主なる神が求めておられる目的は、「宣教」であり、宣教のため神とともに働くために集められた人である。神のご計画の中心はいつもご自分の愛を注いでおられる「人」なのである。成長させられるのは神であるが、人の参与なしには事の成就を果たされないのも確かである。

 

アウグスチヌスの言葉に「神なしには私たちは何も出来ない。が、私たちなしには神は何もなされない」とある。コロサイ書1:6の「実を結ぶ」とは原語では「二つの働きによって実を結ぶ」という意味があるが、私の持てる能力とか経験に関係なく、神の同労者になって奉仕する時にはじめて伝道の実を結ぶ事が出来るのである。主の復活後、弟子達はオリーブ山で世界宣教の使命を与えられて、至る所で福音を宣べ伝えた時、「主は彼らと共に働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた」(マルコ16:20)。

 

この年「主がお入り用です」との言葉を受け止めて、それぞれの賜物を持ち寄り、神の宮の内外のためいざ鎌倉?と出陣しよう。