2019年01月

2019年01月 · 2019/01/27
先週、1月17日から5日間、韓国の南原市訪問の途中、姉妹教会である大邱山格教会のHan師ご夫妻に会った。ご夫妻と久ぶりにお会いし歓迎して下さった。...
2019年01月 · 2019/01/20
先週、恒例の成人式が各地で行われた。成人式には振袖姿の女性や、紋付羽織袴を着用した男性の姿が目立つ。昨年、成人年齢を現行の20歳から18歳に引き下げる改正民法が可決され、2022年から施行されようとしている。しかし、驚くことにユダヤ人社会での成人式(バーミツバ)は13歳である。理解し難いが、日本では中学生の年齢であって、ユダヤ社会とは大きな差がある。ユダヤ人の家庭では3歳になると文字を教え、4歳になると律法(トーラー)教え実践させるのである。厳格なユダヤ教徒の中には、13歳の成人を迎えるまで、旧約聖書のモーセ五書を完璧に暗記するという。どこの国でも自分の国の言語、歴史、文化を教え誇りを持たせ、自分たちの民族が最も優れていると教え込むのである。多くの親たちは教育偏重というか、この世的な英才教育を最優先して子供を育てる。いい学校、いい会社に就職することが成功者と考えている人が多い。 1901年以降、ノーベル賞受賞者662人の内で、国籍は関係なくユダヤ人が180人受賞した。ユダヤ人は他の民族に比べて人種的に優秀言われている。しかし、アメリカの研究者が脳の構造だとやIQを調べた結果、・・・生物学的には他の民族と何ら変わらないそうである。 ユダヤ人の知的レベルが高いとするなら、それはユダヤ人の教育の仕方にあるという。その教育の仕方は最も重要なことを第一に教え込むことである、という。 箴言1章7節に「主を恐れることが知識の始めである」とみ言葉がある。ユダヤ人は、真の唯一なる神がおられること、その神を「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして愛する」ことを最も大切なこととして教え込むのである。この信仰教育がユダヤ人の多くがノーベル賞を受賞する理由だと、周知の事実として知られている。(「実は知らなかったイスラエル(川端光生著)」参考著書) 私たち、八尾南福音教会の使命の一つに、「年齢のバリアフリー」の中でクリスチャンホームの信仰の継承を掲げている。子供は親の背中を見て育つと言われる。クリスチャンの両親は子供たちの信仰の継承を願い、彼らがこの難しい時代に流されないように真剣に神に願おう。また新成人の中からクリスチャンが多く輩出するように祈っていこう。
2019年01月 · 2019/01/13
主の恵みによって始まった新しい年も2週間過ぎた。2018年の元旦メッセージは詩篇73篇28節から「神の近くにいるしあわせ」というテーマでメッセージをさせていただいた。「神の近くにいる」ことを感じるのはみ言葉を味わい、黙想し祈る時であり、又、み言葉の分かち合いをしている時である。(もっとも、普通に何気なく時間を過ごしている時さえも主は近くにおられるが‥)昨年は一対一弟子養育クラスの中でその事を味わったのは私だけではないだろう。 この年も私たちの信仰の養いに時間を使っていきたいものである。 毎年、12月に入ると新年度の教会のテーマために祈ってきた。2019年度の元旦礼拝のメッセージを準備する中、創世記1章の「初めに神が天と地を創造された」という言葉がクリスマスのあと私の頭の中から離れなかった。 私は手紙とかメールを送る時、冒頭の言葉に「創造主なる神をほめたたえます」と書くことが多い。極寒の冬の日でも、酷暑の夏の日でも、創造主なる神を賛美することによって、喜び感謝する思いが湧いてくる。私たちは創造主なる神を賛美するためにこの世に生まれ置いて下さっている。元旦礼拝で開会賛美に聖歌480番「輝く日を仰ぐ時」が歌われた。スウェーデンの詩人、カール・ボバークによって作詞されたこの賛美は、私たちのJECでもよく歌われ私の好きな賛美歌の一つである。太陽の光が眩しい輝く日だけでなく、嵐になりいかずち(雷)が鳴り渡る時でも、まことの御神を思い、誉めたたえて日々を、と過ごしていきたい、と祈らされている。今年一年間のテーマは「創造的信仰に立つ・・・神がそれを見て、よしとされた」。先週の週報の牧師の書斎にもふれたが、み言葉とコメントを入れて毎年送ってくれる友人の年賀状に、奇しくも詩篇121:2「私の助けは、天地を造られた主から来る」が記されていた。 神が創造主であるゆえに私たちの必要を一番ご存知であり、いつも最善を成して下さると信じている。 この年も神がいつも良しとされているので「すべてのことについて感謝をしていこう」(1テサロニケ5:18)
2019年01月 · 2019/01/06
スマホに「敏雄さんの2018年」というタイトルのメールが表示されていたので、なんだろう…と開いてみた。すると、敏雄さんの2018年に訪れた場所を振り返りましょう、とあった。「訪れた場所の数」は21か所、10都市、3か国。あなたは合計16460㎞、あなたは地球を41%分を移動しました。移動に関するデータで徒歩80時間114㎞、自転車で91時間65㎞、自動車で743時間3351㎞。距離が最も長かった旅行はジャカルタ、西ジャワ(7月17日~23日)。時間が最も長かった旅行・・・奈良県、大阪市、福岡(地図と町の写真が載せられいる)。注目の場所・・・ショッピング(よく行く近所のスーパーや大型のショピングモールの写真)、飲食店(回転すし屋やファーストフードの店)、注目のホテル(インドネシアで滞在したホテルの写真)等々。スマホに位置情報を設定しているので私の行動がすべて記録されている。ただそこには私の一年間の行動を記録されているだけに過ぎないもので、何の助けにもならない。が、しかし、驚いた! 今年も、友人からの年賀状に、詩篇121篇1,2節のみ言葉「私は山に向かって目をあげる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る」が記され、「右の歌は、エルサレムに上る時の巡礼歌の1節で、『山』は様々な試練や困難の象徴であります。人生の旅人である私たちは、下(地上のもの)ばかりを見がちですが、時には目をあげて、山々よりも高い上から来る『助け』を求めてみるのも良いのではないでしょうか」と書かれていた。 同じく121:3に、「主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない」と約束されている。詩篇17:8には、「瞳のように見守り‥」とある。瞳というのは、外から見えるからだの各部分のなかでとくに敏感に反応するところである。この一年間も、わずかの危害でも及ぼうとするとただちにまぶたを閉じて守るように、一挙手一投足の全てを見守って下さるお方を友と呼べる私たちは「幸せ者」である。 この事実を心に刻み覚えて、今年も日々感謝しつつ歩んで行こう。